70年のあゆみ-生産体制

(16)レーザー&プラズマ溶接機導入 【1999年、平成11年~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 自動車業界は、地球環境にやさしい車づくりを目指し軽量化による燃費向上を迫られていた。深井製作所はその対応として板厚の違った2つの材料を、つなぎあわせプレスする工法(TWB:テーラードブランク工法)を1998(平成10)年に富士重工と共同研究し、翌年1999(平成11)年に導入し稼働を開始した。なお当初は材料歩留まり向上として使用した。
 また、2001(平成13)年にレーザー溶接より安価でメンテナンスが容易、さらに生産性の高いプラズマ溶接工法を研究し提案採用され導入開始となった。2008年現在は、プラズマ溶接による工法が主流で6基導入稼働している。
レーザー溶接機TWB工法
レーザー溶接機TWB工法

(15)コンピュータ化の進展 【1992年、平成4年~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 深井製作所とコンピュータのつながりは1980(昭和55)年に遡る。当初は給料・財務計算として導入、その後1984(昭和59)年に売上・仕入れ業務、1985(昭和60)年では日産自動車と電送による納入指示データ配信が始まり、1987(昭和62)年に生産計画に導入と主に事務の合理化に使用された。
 その後、1992(平成4)年に金型設計にCADが導入され飛躍的な金型設計の時間短縮となり、1995(平成7)年ではCADと工作機械を結びCAM化、さらに富士重工業を始め顧客からの図面からネットワークを介してのデータ化が進み、1996(平成8)年には設計も3D化となった。
 パーソナルコンピュータもマイクロソフト社のウインドウズ出現により飛躍的に普及が進み、間接部門では1人1台の時代へとなり、生産管理部門では「新生産管理システムPCLS」を立ち上げ、目まぐるしい環境変化に対応すべく月から日への計画となり、取引先への発注もデイリ要求方式となり結果として大幅な在庫削減が計られた。
コンピュータールーム
コンピュータールーム

(14)取引先協力会の解散と新協力会の発足 【1996年、平成11~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 深井製作所の発展に忘れてならないのは多くの取引先の多大なる協力の賜といえるであろう。1968(昭和43)年に23社から始まり、太田、新田、御厨工場時代には各工場単位で独自の取引先をもっていたが大月工場へと統合された際に43社あった取引先を1996(平成8)年に発展的解散し、1999(平成11)年新協力会として3工場の取引先を統合し合計63社で再編成した。
協力会「深和会」総会
協力会「深和会」総会

(13)大月工場建設 【1989年、平成元年~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 受注拡大にともない職場が手狭となり建設を進めていた大月工場が1993年(平成5)年完成した。
大月工場建設にあたってのコンセプトは無人化であり、タンデムプレスのロボット化を大月工場にも導入する検討をした。ロボット化は、プレス搬送にも採用され御厨工場にCライン(400t始めとし4台編成ライン)でトライを実施し大月工場に2ライン採用された。通常1ライン5人の作業者が必要なところ、2ラインで4人の作業者で生産できるラインを構築し当時としては画期的なシステムであり一部の特許出願も行い、システムとしての販売も数社に行った。
 組立ラインは、直線コンベアが設置され製品荷姿はコンベアラインエンドとなり荷姿作業とフォーク運搬作業が大幅に削減された。また地下ピットが設けられロボットの制御盤や配電盤が収納され天井空間が確保された。これまでにない職場が実現した。
大月工場コンベアライン
大月工場コンベアライン

(12)新田工場発足 【1988年、昭和63年~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 その後群馬県新田町にあった子会社深井工業(株)を新田工場として発足した。新田工場は敷地面積5,183㎡、工場面積1,240㎡の建設機械部品の専門工場としてスタートさせた。
 この考え方は見事にその後の売上げ拡大に寄与し、月産数にして1~100台までの新田工場、100~1000台を得意とする太田工場、そして、1000台以上数万台の生産が可能な御厨工場とどんな生産数にも対応できる他の会社では類をみない工場ネットワークが確立出来た。
新田工場タレパンライン
新田工場タレパンライン

(11)太田工場買収 【1988年、昭和63年~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 群馬県太田市にあった石井工業(株)の用地・建物を買収。敷地面積3,305㎡工場面積2,366㎡の農機機械部品専門の太田工場をスタートさせた。部品としては多品種少量生産を得意とし主に(株)クボタ(旧久保田鉄工)を主顧客とし集成専門の工場とし売上げに貢献した。その後、三洋電機(株)空調事業部と取引開始(1990年)し空調用熱交換機に使われる煙管等の受注が増え瞬く間に工場が一杯になった。
太田工場組立ライン
太田工場組立ライン

(10)設備増強と合理化活動 【1979年、昭和54年~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 深井製作所は、相次ぐ新車開発による設備投資費用増と進まぬ合理化活動で業績が悪化をたどった。
 そんな中で、合理化を達成すべく4つのプロジェクトチーム(KPT経費削減、GPT外注部品費低減、SPT生産工数低減、ZPT材料費低減)が結成され目標に向かい活動が開始された。
さらに、「新生産方式」を導入し、過去からの理論や手法慣習化した意識や考え方、固定観念・既成概念を取り払い、発想の転換や意識改革を養った。
 そうした活動が報われ3年後に創業以来過去最高の利益をだし、1980(昭和55)年600トントランスファープレスを導入し、プレスの自動化が進められた。
 工機工場にも1982(昭和57)年NC立て中ぐり盤も導入し金型製作のNC化・自動化への歩みが始まった。
 さらに、1983(昭和58)年のプログレッシブ300トン、翌年1984(昭和59)年には1600トントランスファープレスを導入した。
 これらの設備増強は当然収益面を大きく圧迫し以後数期極めて苦しい時期が訪れ、さらなる合理化計画が打ち出された。
 その後苦しい時期は脱し、1986(昭和61)年には 収益面で好転した。

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