70年のあゆみ-生産体制:拡張・充実7工場の歴史

(20)量産部品を支える 《拡張・充実7工場の歴史》

1)物づくりのスタートを担当する金型事業部
 金型事業部はプレス金型を製作したり調達したりする部門で当社発足時よりつづいている伝統ある職場である。
 70年の歴史の中、部品売上高が90%以上の大きなウエイトを占めるようになってきたが、逆に部品の品質、生産性の90%以上は金型の出来で決まってしまっている。金型製造部門は、生産技術力と合わせ売上高比率に関係なく重要性が増している。
 部品作りの金型と受注型を合わせた全体受注型の20~30%を社内で担当し社内は難部品と云われる金型を担当、客先からの信頼も得ている。
 最近受注型の拡販に力を入れ、(株)オギハラ、(株)宮津製作所などとの取引も拡大し、原価削減の為韓国からの調達も増えている。
金型事業部 工機職場
金型事業部 工機職場

2)組立職場を進化させる設備事業部
 設備事業部のルーツは「関東技研」の発足となる1982(昭和57)年になる。当時はまだロボット導入期にあたるがロボット周辺機器を含め当社組立ライン作りに参画頂いた。
 その後2003(平成15)年に深井製作所へ関東技研が統合され設備事業部となるがその間も深井の生産技術と関東技研のコア技術とが融合し組立職場を発展進化させてきた。 
 2008(平成20)年となった現在、自社量産ラインづくりで培ったノウハウを生かし使い勝っての良さを売り物に駒場工場を拠点に総員27名で設備治具の外販営業活動を行っている。

3)在庫削減を支える保全体制
 「かんばん」の導入などにより在庫削減が図られてきたが平行して取り組んできた保全体制について述べて置きたい。大別すると機械設備の保全とプレス金型のメンテナンスとになるがキッカケは両者ともISO9001導入への取り組みがレベルアップへのスタートとなった。
 旧来はプレス機械に対する保全と言えば法定点検が主で自主的定期点検はほとんどされてなかった。1996(平成8)年頃よりISO9001の要求事項を満たすための取り組みが始まり2000年4月には保全課が組織され着実に成果を上げ設備故障率も最近の3年間で約70%削減された。
 一方プレス金型のメンテナンスは社内工機修理係と協力工場で行っていた。しかし金型メンテナンスする型数の増大と金型をメンテナンスする時間の短期化に対応する為、2000年4月富士重工業(株)のOBの方にも来て頂き、金型メンテナンス部門の職場を3人でスタートさせた。2007(平成19)年には完成品在庫もこれまでの1日分から0.5日分となり金型メンテナンスも2直化し生産体制を支えている。

4)量産前部品を担当する試作部門
 自動車部品では、開発期間という段階があり量産設備が整備される前部品を作らなければならない。この段階で部品作りを担当するのが試作部門で、物づくりする上での技術集団である。 
 旧来は新車開発がある都度、物づくりのベテランが各職場より人選され部品づくりしたり、一部は外部へアウトソーシングされていた。こうした中、開発費の削減が経営課題となり1997(平成9)年工機部の中へ試作班が組織化された。作業負荷が開発の量に影響されやすく最近、量産でも生産台数の少ない重要部品の生産を行っている。
試作職場

(19)TRF2700の導入 【2005年、平成17年~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 前にも書いたが自動車業界は、車の軽量化を研究し材料についてもよりハイテンションの素材を採用して来た。そのため従来のプレス機では機械能力不足となり、受注量の確保からより高能力のプレス機を導入することを検討し2005(平成17)年にTRF2700トンプレスを導入した。中古機ではあったが経費節減に効果を発揮し受注条件を満たすことができた。
 当初仕事量も少なかったが、2006年(平成18年)三菱自動車と取引が開始されたり、新車(スカイライン、インプレッサ、フォレスタ)の立ち上がりによりまたたく間に能力が一杯となった。
TRF2700トンプレスの導入
TRF2700トンプレスの導入

(18)生産能力のアウトソーシング 【2003年、平成15年~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 2003(平成15)年富士重工よりリヤフレームアッシーのアウトソーシングを受け、大幅な受注増により工場全体の見直しを行い、翌2004年当社産機部門のアウトソーシングを実施した。これにより大月工場は、自動車部品のみの工場となり受注増に対応した。

(17)売上げ拡大と合理化活動 【2003年、平成15年~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 富士重工業の主力車種であるレガシイ―(21Z車)の開発について受注の段階から積極的な原価低減プレゼンテーションを行い受注拡大に繋げ、開発準備工事中に至っては全社一丸でFPS(FUKAI PRODUCUTION SYSTEM)のアイテムをひとつひとつ克服し、量産へと結びつけこの車で深井製作所の売上げも大きく変わった。物流面でも自社製AGV(Auto Guided Vehicle)を導入し物流コストを大幅に下げた。
自社開発AGV
自社開発AGV

(16)レーザー&プラズマ溶接機導入 【1999年、平成11年~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 自動車業界は、地球環境にやさしい車づくりを目指し軽量化による燃費向上を迫られていた。深井製作所はその対応として板厚の違った2つの材料を、つなぎあわせプレスする工法(TWB:テーラードブランク工法)を1998(平成10)年に富士重工と共同研究し、翌年1999(平成11)年に導入し稼働を開始した。なお当初は材料歩留まり向上として使用した。
 また、2001(平成13)年にレーザー溶接より安価でメンテナンスが容易、さらに生産性の高いプラズマ溶接工法を研究し提案採用され導入開始となった。2008年現在は、プラズマ溶接による工法が主流で6基導入稼働している。
レーザー溶接機TWB工法
レーザー溶接機TWB工法

(15)コンピュータ化の進展 【1992年、平成4年~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 深井製作所とコンピュータのつながりは1980(昭和55)年に遡る。当初は給料・財務計算として導入、その後1984(昭和59)年に売上・仕入れ業務、1985(昭和60)年では日産自動車と電送による納入指示データ配信が始まり、1987(昭和62)年に生産計画に導入と主に事務の合理化に使用された。
 その後、1992(平成4)年に金型設計にCADが導入され飛躍的な金型設計の時間短縮となり、1995(平成7)年ではCADと工作機械を結びCAM化、さらに富士重工業を始め顧客からの図面からネットワークを介してのデータ化が進み、1996(平成8)年には設計も3D化となった。
 パーソナルコンピュータもマイクロソフト社のウインドウズ出現により飛躍的に普及が進み、間接部門では1人1台の時代へとなり、生産管理部門では「新生産管理システムPCLS」を立ち上げ、目まぐるしい環境変化に対応すべく月から日への計画となり、取引先への発注もデイリ要求方式となり結果として大幅な在庫削減が計られた。
コンピュータールーム
コンピュータールーム

(14)取引先協力会の解散と新協力会の発足 【1996年、平成11~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 深井製作所の発展に忘れてならないのは多くの取引先の多大なる協力の賜といえるであろう。1968(昭和43)年に23社から始まり、太田、新田、御厨工場時代には各工場単位で独自の取引先をもっていたが大月工場へと統合された際に43社あった取引先を1996(平成8)年に発展的解散し、1999(平成11)年新協力会として3工場の取引先を統合し合計63社で再編成した。
協力会「深和会」総会
協力会「深和会」総会

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