70年のあゆみ-概要

(18)生産能力のアウトソーシング 【2003年、平成15年~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 2003(平成15)年富士重工よりリヤフレームアッシーのアウトソーシングを受け、大幅な受注増により工場全体の見直しを行い、翌2004年当社産機部門のアウトソーシングを実施した。これにより大月工場は、自動車部品のみの工場となり受注増に対応した。

(17)売上げ拡大と合理化活動 【2003年、平成15年~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 富士重工業の主力車種であるレガシイ―(21Z車)の開発について受注の段階から積極的な原価低減プレゼンテーションを行い受注拡大に繋げ、開発準備工事中に至っては全社一丸でFPS(FUKAI PRODUCUTION SYSTEM)のアイテムをひとつひとつ克服し、量産へと結びつけこの車で深井製作所の売上げも大きく変わった。物流面でも自社製AGV(Auto Guided Vehicle)を導入し物流コストを大幅に下げた。
自社開発AGV
自社開発AGV

(16)レーザー&プラズマ溶接機導入 【1999年、平成11年~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 自動車業界は、地球環境にやさしい車づくりを目指し軽量化による燃費向上を迫られていた。深井製作所はその対応として板厚の違った2つの材料を、つなぎあわせプレスする工法(TWB:テーラードブランク工法)を1998(平成10)年に富士重工と共同研究し、翌年1999(平成11)年に導入し稼働を開始した。なお当初は材料歩留まり向上として使用した。
 また、2001(平成13)年にレーザー溶接より安価でメンテナンスが容易、さらに生産性の高いプラズマ溶接工法を研究し提案採用され導入開始となった。2008年現在は、プラズマ溶接による工法が主流で6基導入稼働している。
レーザー溶接機TWB工法
レーザー溶接機TWB工法

(15)コンピュータ化の進展 【1992年、平成4年~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 深井製作所とコンピュータのつながりは1980(昭和55)年に遡る。当初は給料・財務計算として導入、その後1984(昭和59)年に売上・仕入れ業務、1985(昭和60)年では日産自動車と電送による納入指示データ配信が始まり、1987(昭和62)年に生産計画に導入と主に事務の合理化に使用された。
 その後、1992(平成4)年に金型設計にCADが導入され飛躍的な金型設計の時間短縮となり、1995(平成7)年ではCADと工作機械を結びCAM化、さらに富士重工業を始め顧客からの図面からネットワークを介してのデータ化が進み、1996(平成8)年には設計も3D化となった。
 パーソナルコンピュータもマイクロソフト社のウインドウズ出現により飛躍的に普及が進み、間接部門では1人1台の時代へとなり、生産管理部門では「新生産管理システムPCLS」を立ち上げ、目まぐるしい環境変化に対応すべく月から日への計画となり、取引先への発注もデイリ要求方式となり結果として大幅な在庫削減が計られた。
コンピュータールーム
コンピュータールーム

(14)取引先協力会の解散と新協力会の発足 【1996年、平成11~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 深井製作所の発展に忘れてならないのは多くの取引先の多大なる協力の賜といえるであろう。1968(昭和43)年に23社から始まり、太田、新田、御厨工場時代には各工場単位で独自の取引先をもっていたが大月工場へと統合された際に43社あった取引先を1996(平成8)年に発展的解散し、1999(平成11)年新協力会として3工場の取引先を統合し合計63社で再編成した。
協力会「深和会」総会
協力会「深和会」総会

(13)大月工場建設 【1989年、平成元年~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 受注拡大にともない職場が手狭となり建設を進めていた大月工場が1993年(平成5)年完成した。
大月工場建設にあたってのコンセプトは無人化であり、タンデムプレスのロボット化を大月工場にも導入する検討をした。ロボット化は、プレス搬送にも採用され御厨工場にCライン(400t始めとし4台編成ライン)でトライを実施し大月工場に2ライン採用された。通常1ライン5人の作業者が必要なところ、2ラインで4人の作業者で生産できるラインを構築し当時としては画期的なシステムであり一部の特許出願も行い、システムとしての販売も数社に行った。
 組立ラインは、直線コンベアが設置され製品荷姿はコンベアラインエンドとなり荷姿作業とフォーク運搬作業が大幅に削減された。また地下ピットが設けられロボットの制御盤や配電盤が収納され天井空間が確保された。これまでにない職場が実現した。
大月工場コンベアライン
大月工場コンベアライン

(12)新田工場発足 【1988年、昭和63年~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 その後群馬県新田町にあった子会社深井工業(株)を新田工場として発足した。新田工場は敷地面積5,183㎡、工場面積1,240㎡の建設機械部品の専門工場としてスタートさせた。
 この考え方は見事にその後の売上げ拡大に寄与し、月産数にして1~100台までの新田工場、100~1000台を得意とする太田工場、そして、1000台以上数万台の生産が可能な御厨工場とどんな生産数にも対応できる他の会社では類をみない工場ネットワークが確立出来た。
新田工場タレパンライン
新田工場タレパンライン

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