70年のあゆみ-概要

(2)これまでの深井製作所の技術 【1938(昭和13)年~1997(平成9)年】 《これまでの技術》

 深井製作所は、昭和13年に創業したときから、中島飛行機の隼、呑龍等の部品の金型製作が中心で始まったのである。 
 このような歴史を持ち、深井製作所のコァ技術は金型製作にあり、しかも難しい形状の金型造りが得意であった。このため戦後、中島飛行機が解散し富士重工業や富士精密工業(後のプリンス自動車)となっても、また日立建機、小松メック、久保田鉄工等との取引も優れた金型技術があったからである。
しかしながら、深井製作所は顧客からの図面を元に単に金型製作をし、部品を製作していたのである。また、技術資料をきちんと残していくという仕組みもあまりなく、どちらかというと技術はそれぞれの人の固有の物であり、このため誰かが退社すると、その技術は人と共に無くなってしまうという恐れもあったのである。
 昭和60年代後半にもなると、自動車メーカーは自らの開発工数不足を補うためと部品メーカーの技術力向上を狙い、部品メーカーに開発設計要員の育成と設計部隊を作るような指導を行ってきた。
深井製作所は、生産技術者の教育、組織化は他社に遅れてはいなかった。しかし残念ながら開発設計要員の教育や組織化は、富士重工圏のなかでは、約10年遅れをとってしまった。開発設計要員の教育や組織化、技術資料整備、独自技術開発は、今後の大きな課題であった。

(1)地球環境保護・情報化時代へ突入・受注競争激化の20年

 1988年からの今日までの20年間を振り返ってみると、京都議定書に代表されるように急激に悪化する地球環境の保護の世界的な動きとパソコンの高性能化と低価格化、高性能化したパソコンを用いての解析技術の向上、最後に独自技術の売り込みによる受注競争が上げられるだろう。

 地球環境保護政策の大きな動きとして自動車から排出される二酸化炭素の低減は最大の目標の一つであり世界的に規制が厳しくなっている。またブラジル、ロシア、インド、中国等BRICsの経済の急激な発展に伴う消費拡大、OPECの原油価格高騰政策等もあり、いち早く排出ガス対策に努力し、低燃費で先行した日本車は米国や欧州においてシェアーを拡大していった。

 急激なシェアー拡大は輸入国の貿易摩擦となり、トヨタ、ホンダ、日産等は米国、欧州、中国、インドへの現地生産化拡大を図り、2006年度には海外の日本メーカーの生産台数は国内より多くなっている。さらにロシア・サンクトペテルブルグに2007年末からトヨタが、2009年から日産が生産開始し、2009年末からスズキが生産予定、2010年生産予定で三菱自動車も進出を2007年11月に決定した。Samara地域にはいすゞが2006年から現地UAZと合弁でトラックを生産開始し、さらにZAOと合弁で2008年から生産を予定している。

 20年前深井製作所の事務所にパソコンは何台あったろうか。ワープロは活躍していたが、パソコンは電算室に数台あっただけではないだろうか。
 MS-DOSからWINDOWS95と変化したのを境に、使いやすくなり急激に普及し始め、今や各自の机上にパソコンは配置され、ほぼ一人一台に近い環境となっている。
しかもCPUも80826,80836,80846,ペンティアム(80856)、デュアルコァ、クアッドコァと性能も大幅に向上し、40年前大学にあったスーパーコンピューターの性能を上回るパソコンが各自の机上にあるという夢のような時代になった。

 アメリカのNASAを中心とした有限要素法(FEM)を用いた技術計算手法が、各種の技術解析に応用され優れたソフトが発表され宇宙工学のみならず、土木工学、機械設計、造船工学や日常生活の部品製作にまで応用されている。
本州と四国をつなぐ瀬戸大橋、高層ビルなど代表的な応用例である。今では派生した各種技術解析ソフトが数多く発表され自動車・部品設計に無くてはならない道具となっていて深井製作所でも活用している。
 また、それまで部品メーカーは、単に発注された部品を生産していれば良かったが1998年頃からそれぞれのメーカーが、独自開発した技術をプレゼンテーションして受注していくというように、独自技術が無ければ仕事が受注出来ない厳しい時代になっていった。ここでは偶然にも1998年10月から新日鐵とのお付き合いが出来ることとなり、技術交流を通じて計り知れない支援をいただけたことを忘れてはならない。

(3)FPS(Fukai Production System) 《合理化活動》

 FPS(Fukai Production System)活動はA21計画における「原価低減活動」「品質保証活動」の両項を包含した<1本柱>のもとで1999年4月に柿村専務(当時)を推進委員長とし推進委員会を設置し
1.工程改善活動グループ
2.作業改善活動グループ
3.品質保証向上グループ
4.工場環境改革グループ

と4つのグループに分けられスタートした。
 [呼称の意味と精神] FPSは深井製作所がこの先の厳しい経営環境を乗り越え、21世紀を確個たる経営基盤のもとに更なる安定と発展を築きあげるため、時代に先行した固有技術と経営体質を強化させるための、最も効果的な生産方式構築するものである。

FPS活動によって勝ち取る到達目標レベル
当社顧客同業取引先のQCDにおける、最高位を自他共に認める地位を確実にする。

と、当時柿村専務の強いリーダシップで始まった。
FPS活動の根底はトヨタ生産方式であり、富士重工業のSPS活動のご指導を受けながら地場の同業社とも情報を密に活発に活動開始した。
活動当初はまず、現場のムダ取り活動から始まり開発段階でのQCDの目標完遂で「立ち上がりロスゼロ」を目指した。
さらにFPS活動を成熟させるべく改善活動の仕組み造りやAPQPの導入、QS9000等の品質システムを主体とした品質保証体系をつくり上げていった。
その中で5S活動による意識改革をはかりひとづくりも手掛けた。とくにFPS活動の中で大きな成果をあげたのが在庫削減活動であった。
FPS:プレス生産指示管理板
FPS:プレス生産指示管理板

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(2)SPS(スバル・プロダクション・システム) 《合理化活動》

 SPS(スバル・プロダクション・システム)活動は富士重工業が地場企業の生産性向上を支援し企業体質を強化する活動として、1991(平成3)年1月にスタートした活動で「生産性向上」「品質レベルアップ」「在庫削減」を柱とした取り組みで始まった。
 創世記は古畑先生の講演会、その後は山下先生の指導会を通じて具体的活動が図られ「物づくりの基本」と「経営管理基盤づくり」を学んだ。また、年2回SPS活動成果報告会が東毛学習センターで2005(平成17)年まで28回開催され当社の発表は次のとおりであった。
開催日 発表テーマ 発表者
16 1999.5.25 衣替えしますFPS 福田取締役
19 2000.11.8 改善型FPSから経営型FPS活動へ 柿村専務
須藤(弘)課長
23 2002.10.23 FPSの集大成、P66Lの取り組み 斎藤常務
26 2004.5.20 トップの講和 深井孟社長
27 2004.10.27 在庫削減と儲かる5S 須藤(弘)部長
柴田部長
SPS発表会 SPS発表会2004.10.27

(1)合理化活動の変遷 《合理化活動》

 日本経済は、昭和初期の時代から戦時中を除いて戦後の目まぐるしい復興さらには高度経済成長時代までは、何でも作れば売れる時代が続き誰もが上を向いて生活をしていた。ところが1965年(昭和40年)代中頃になると、高度成長時代もピークを迎え、企業間競争が激化し業界再編成が行われ始めた。
 こうしたところへ、1973年(昭和48年)中東戦争が勃発し石油危機が到来、いわゆる「石油ショック」となり世界規模で不況となった。特に資源を持たない日本経済の打撃は他に類を見ないほどであった。さらに自動車産業についての石油ショックは大変なものであり、量から質へと大きく方向転換を迫られた。
 深井製作所も石油ショックのあおりを受け、当時自動車部品については富士重工23%減、日産自動車11%減と落ち込んだが、幸いにして久保田鉄工(株)との取引増大により売上高は時代に逆らい前年比20%の増となっていた。
 そんな中、1977年(昭和52年)日産自動車(株)より「P3運動」と企業体質改善活動が展開された。それを受け我が社では「P3TATE運動」を展開し深井製作所初の合理化活動となった。
以降合理化活動の歴史を下記に記し、SPS、FPS活動については、詳細を続けて記す。

・合理化活動の歴史
1977年10月 P3TATE運動
1981年04月 新生産方式
1982年10月 3F活動(R計画)
1984年04月 Q-UP作戦(3F活動に包括)
1984年09月 トヨタ生産システム勉強会(IQプロジェクト)
1985年01月 5S活動、SUプロジェクト(旧IQ)、KGプロジェクト発足
1993年10月 SPS5ゲン主義でムダ取り実践
1994年01月 SPS活動 JMAC指導終了京三電機指導に変更
     04月 SPS活動不活発で評価悪い
     07月 間接人員合理化VFP展開
     11月 合理化人員で内製化推進
1996年07月 SPS京三電機巡回指導
1997年06月 SPS改善指導会が当社で実施(山下先生他50名)
     09月 SPS活動にて最低評価を受ける
     11月 富士重工のSPS活動3本柱に(製造・品質・開発)
1998年01月 日本能率協会コンサルティング受入れ決定(3月~)
     04月 JMACコンサルタント指導受入
     10月 FPS活動にて在庫削減活動取組
1999年03月 FPS活動基本方針展開
     05月 SPS山下指導会当社で開催
     12月 MOSTによる標準時間設定
2001年10月 組立能率管理スタート、「生産性指標管理要領」発行
     11月 フSPS、チーム指導会(11/6)
AGV活用による物流改善
2002年05月 富士重工SPS成果報告会(5/23)
     09月 富士重工SPS山下診断指導会当社で開催(9/18)
     10月 富士重工SPS成果報告会(10/23)
     11月 富士重工YL道場(改善マン育成)当社で開催(11/19)
2003年04月 SPS成果発表会(5/22) 東毛学習センター
     11月 物流改革でコンサルタント導入(中産連)11/26 キックオフ式
2007年08月 物流、現場省人化に浅野先生指導会開始
2007年10月 新5S活動 木村先生、越前先生の指導開始

改善事例:無人化ピラーライン
改善事例:無人化ピラーライン

(20)量産部品を支える 《拡張・充実7工場の歴史》

1)物づくりのスタートを担当する金型事業部
 金型事業部はプレス金型を製作したり調達したりする部門で当社発足時よりつづいている伝統ある職場である。
 70年の歴史の中、部品売上高が90%以上の大きなウエイトを占めるようになってきたが、逆に部品の品質、生産性の90%以上は金型の出来で決まってしまっている。金型製造部門は、生産技術力と合わせ売上高比率に関係なく重要性が増している。
 部品作りの金型と受注型を合わせた全体受注型の20~30%を社内で担当し社内は難部品と云われる金型を担当、客先からの信頼も得ている。
 最近受注型の拡販に力を入れ、(株)オギハラ、(株)宮津製作所などとの取引も拡大し、原価削減の為韓国からの調達も増えている。
金型事業部 工機職場
金型事業部 工機職場

2)組立職場を進化させる設備事業部
 設備事業部のルーツは「関東技研」の発足となる1982(昭和57)年になる。当時はまだロボット導入期にあたるがロボット周辺機器を含め当社組立ライン作りに参画頂いた。
 その後2003(平成15)年に深井製作所へ関東技研が統合され設備事業部となるがその間も深井の生産技術と関東技研のコア技術とが融合し組立職場を発展進化させてきた。 
 2008(平成20)年となった現在、自社量産ラインづくりで培ったノウハウを生かし使い勝っての良さを売り物に駒場工場を拠点に総員27名で設備治具の外販営業活動を行っている。

3)在庫削減を支える保全体制
 「かんばん」の導入などにより在庫削減が図られてきたが平行して取り組んできた保全体制について述べて置きたい。大別すると機械設備の保全とプレス金型のメンテナンスとになるがキッカケは両者ともISO9001導入への取り組みがレベルアップへのスタートとなった。
 旧来はプレス機械に対する保全と言えば法定点検が主で自主的定期点検はほとんどされてなかった。1996(平成8)年頃よりISO9001の要求事項を満たすための取り組みが始まり2000年4月には保全課が組織され着実に成果を上げ設備故障率も最近の3年間で約70%削減された。
 一方プレス金型のメンテナンスは社内工機修理係と協力工場で行っていた。しかし金型メンテナンスする型数の増大と金型をメンテナンスする時間の短期化に対応する為、2000年4月富士重工業(株)のOBの方にも来て頂き、金型メンテナンス部門の職場を3人でスタートさせた。2007(平成19)年には完成品在庫もこれまでの1日分から0.5日分となり金型メンテナンスも2直化し生産体制を支えている。

4)量産前部品を担当する試作部門
 自動車部品では、開発期間という段階があり量産設備が整備される前部品を作らなければならない。この段階で部品作りを担当するのが試作部門で、物づくりする上での技術集団である。 
 旧来は新車開発がある都度、物づくりのベテランが各職場より人選され部品づくりしたり、一部は外部へアウトソーシングされていた。こうした中、開発費の削減が経営課題となり1997(平成9)年工機部の中へ試作班が組織化された。作業負荷が開発の量に影響されやすく最近、量産でも生産台数の少ない重要部品の生産を行っている。
試作職場

(19)TRF2700の導入 【2005年、平成17年~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 前にも書いたが自動車業界は、車の軽量化を研究し材料についてもよりハイテンションの素材を採用して来た。そのため従来のプレス機では機械能力不足となり、受注量の確保からより高能力のプレス機を導入することを検討し2005(平成17)年にTRF2700トンプレスを導入した。中古機ではあったが経費節減に効果を発揮し受注条件を満たすことができた。
 当初仕事量も少なかったが、2006年(平成18年)三菱自動車と取引が開始されたり、新車(スカイライン、インプレッサ、フォレスタ)の立ち上がりによりまたたく間に能力が一杯となった。
TRF2700トンプレスの導入
TRF2700トンプレスの導入

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