(2)これまでの深井製作所の技術 【1938(昭和13)年~1997(平成9)年】 《これまでの技術》
深井製作所は、昭和13年に創業したときから、中島飛行機の隼、呑龍等の部品の金型製作が中心で始まったのである。
このような歴史を持ち、深井製作所のコァ技術は金型製作にあり、しかも難しい形状の金型造りが得意であった。このため戦後、中島飛行機が解散し富士重工業や富士精密工業(後のプリンス自動車)となっても、また日立建機、小松メック、久保田鉄工等との取引も優れた金型技術があったからである。
しかしながら、深井製作所は顧客からの図面を元に単に金型製作をし、部品を製作していたのである。また、技術資料をきちんと残していくという仕組みもあまりなく、どちらかというと技術はそれぞれの人の固有の物であり、このため誰かが退社すると、その技術は人と共に無くなってしまうという恐れもあったのである。
昭和60年代後半にもなると、自動車メーカーは自らの開発工数不足を補うためと部品メーカーの技術力向上を狙い、部品メーカーに開発設計要員の育成と設計部隊を作るような指導を行ってきた。
深井製作所は、生産技術者の教育、組織化は他社に遅れてはいなかった。しかし残念ながら開発設計要員の教育や組織化は、富士重工圏のなかでは、約10年遅れをとってしまった。開発設計要員の教育や組織化、技術資料整備、独自技術開発は、今後の大きな課題であった。

SPS発表会2004.10.27



