(3)攻めの営業へ変革 【1999年(平成11)年~】 《営業活動》
1)お客様へ“深井初のプレゼンテ-ション”
1991(平成3)年バブル崩壊後、RE計画による新規顧客の開拓や既存顧客の受注量拡大に向けた活動を続けてきましたが、顧客の求めている要求は、品質、価格、納期の最適な部品を購入することであった。そこで、1999(平成11)年10月にユニプレス(株)との合同で、富士重工(株)において「深井初のプレゼンテ-ション」を開催し、大勢の方々が来場されました。総来場者は316名で、富士重工株式会社の開発部門より157名、製作所部門より79名、地場の取引先を含んだ会社より80名の方々が来場されました。
展示品は、テ-ラ-ドブランク部品、高張力材部品やモジュ-ル化、精密プレス部品等数多く出展しました。特に自動車の軽量化に関する部品に感心が集中し、大好評でありました。結果は、深井の技術力を十分披露でき、「受身の営業」から「攻めの営業」への変遷の一歩が踏み出せ、初のプレゼンテ-ションは無事成功することが出来ました。
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2)大型プレス機導入による営業活動
1997(平成9)年12月に京都市の国立京都国際会館で開かれました第3回気候変動枠組条約締約国会議において、気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書によるCO2削減(日本6%)が結ばれて、自動車の軽量化が一段とクロ-ズアップされてきた。
深井初のプレゼンテ-ションでも軽量化に注目があったこともこの議定書からである。
各自動車メ-カは、次期車に軽量化するための高張力材を採用する動きに拍車がかかった。この高張力材は590Mpa級で一般材の2倍の強さで、当社のメイン部品のフレ-ムサイドリアロアフレ-ムリアが、1600TRFプレスでは生産ができなくなる可能性が予測された。そのために弊社も大型プレス機導入の検討に入った。
しかし、売上高はバブル崩壊後から5年目の1997(平成9)年から増加傾向になって来ていたが、バブル崩壊後の影響がまだ残っている状況にあった。世の中も少しは良くなってきているものの、地方や中小企業では、良くなってきたとは感じられる状況ではなかったので、高額投資はさけなければならなかった。
そこに、富士重工(株)より中古プレスがあるとの情報を頂き、導入するかの議論を再三重ね、経営としてどうしても必要との結論に至り、2005(平成17)年12月にISUZU自動車(株)藤沢工場より、2700TRFプレス機の導入・設置をしました。
現在は、高張力材のフレ-ムサイドリアロアフレ-ムリアの590Mpa級部品やセンタ-ピラ-(980Mpa級)を中心にフル生産をしております。
また、このTRFプレスを導入したことで多くの部品を受注することができた。
3)金型・設備事業部の構築・拡大
2000(平成12)年ごろより自動車メ-カ各社がプラットホ-ムの共用化を進める方向にむかった。それにより、弊社で受注していた設備の受注量も少なくなることが予測されたため、2003(平成15)年3月にロボットを配置した設備の設計・製作していた関東技研(株)を深井へ統合し、弊社の営業部門との連携による受注量の拡大を図った。これにより、弊社の設備治具事業部となり、組織は5本部制から5本部1事業部制となった。
その後、設備治具事業部は、本社大月工場内が手狭になったため、2005(平成17)年7月に足利市駒場町に新工場を設け、自動車部品に偏らず今まで培って来た固有技術により、設備・治具の営業活動を積極的に開始した。2006(平成18)年10月に事業部名を設備事業部に変更した。
また、同年同月に技術本部内のプレス技術課を分割し、金型のみを製作・発注する業務に特化した組織の金型事業部を新設した。これにより、5本部1事業部制から5本部2事業部制となった。
これは、将来の売上高150億を目指す一つの手段として、より効率的な業務遂行および拡販活動による売上高の増大を目指すための発足であった。
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