(2)バブル崩壊後の苦難 【1991(平成3)年~1995(平成7)年】 《営業活動》
1)売上高激減で設立以来の大ピンチ
売上が順調に拡大をし、過去最高の売上高を記録した翌年の1991(平成3)年にバブルが崩壊した。この年は、新工場建設の構想が整い建設の決断をする時期であった。崩壊後、1990(平成2)年の売上高106億をピ-クに緩やかに生産量が減少し、それにともない売上高の減少が始まった。
1992(平成4)年には93億まで落ち込んだ。そこで、バブル崩壊後2年目の1993(平成5)年にRE計画を策定し、各職場でその目標に向かい取り組みを開始した。しかし、崩壊後4年目の1995(平成7)年には売上高71億円まで落ち込んでしまった。
会社設立以来の大ピンチを迎え、売上高を拡大するための手段として、新規顧客先の拡大を最優先にした活動に打ってでた。
2)新規お客様の開拓開始
RE計画での施策として売上高拡大に向け、既存顧客以外の新規顧客の拡販活動をするため、1993(平成5)年に開発課を新設し、拡販活動を開始した。世の中の経済が低迷している中でどうやって拡販するか検討を重ねた結果、まずは、弊社のプレスを有効に使用出来る顧客に絞った拡販をする方向にした。
まず、同年3月に荻原物産(株)よりプレス・組立の自動車部品を受注して、北米へ向け輸出を開始した。その後、思うように新規顧客が開拓出来なかったが、1994ゅ平成6年ょ1月に(株)エフテックよりSIAで生産するレガシィのリア廻り部品の金型を46型受注した。当時は、各自動車メ-カ-の新規開発が少なく、どこの金型屋も負荷不足であったため、大変有り難い受注であった。同年年2月に日立化成工業(株)から自動車部品を4点受注し、B6のブランキングラインで生産した。また、同年5月に脚立を販売しているアルインコ(株)より、脚立の継ぎ手部品を受注し、栃木県茂木町の工業団地まで片道2.5時間かけて納入した。
その後、この勢いにのり次々と新規顧客先を拡大した。同年7月にタイガ-カワシマ(株)より米自動計量器のホッパ-を受注し、Cラインプレスにて生産をした。同年10月に荻原物産(株)」よりシュレッダ-ボックスを受注し、新田工場にて生産を開始した。同年11月に建設機械を中心に製作・販売をしている株式会社加藤製作所よりショベルカ-のカバ-やクレ-ン車のカバ-を受注し、当時の新田工場設備のベンダ-やタレパンの設備にて生産をしました。同年12月にダイハツ車体(株)よりゴルフカ-トのフレ-ム組立を受注し、大月工場にて生産を開始した。
さらに顧客拡大を進め、フクダエンジニアリング(株)より伸縮自在コンベア、日本鋼管ライトスチ-ル(株)のガ-ドレ-ルブラケット部品、東京鋼鉄(株)の駐輪場の架台、(株)三翆社のキュ-ピクル、サン自動車(株)のけん引車を受注した。1997(平成9)年1月に(株)エフテックよりアコ-ドの設備受注をきっかけに部品の生産も引き受け、生産を開始した。その結果、新規お客様を11社拡販でき、売上高は年間で約8億増やすことが出来た。現在では、(株)エフテックとの取引が年々増え、年商で約10億の売上を計上している。
しかし、売上高の拡大スピ-ドは上がらずであった。そこで、1989(平成元)年に達成した100億に早く戻すために、1998(平成10)年4月に技術部内に開発技術Gを新設した。
受身の営業活動から弊社の持っている技術力にさらに磨きをかけ、新技術・品質、価格、納期等をお客様に満足して頂けるように、攻めの営業への第一歩を踏み出した。
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3)海外向け金型・設備受注による技術員派遣 1998(平成10)年~
1998(平成10)年2月、第18回冬季長野オリンピックで日本が盛り上がりをみせていたこの年、山川工業(株)と大和工業(株)が合併し、ユニプレス(株)が誕生しました。弊社の売上高がわずかではあるが増加の兆しが見え始めたこの年に、ユニプレス株式会社より海外向けの金型・設備を受注し、アメリカテネシ-州にあるユニプレスアメリカへ初めて技術員の派遣をしました。これは、富士重工(株)のアメリカ(SIA)で生産するレガシィ-のフルモデルチェンジ車で、幣社で受注していたフレ-ムサイドFF・ブラケットエフサス部品の金型・設備の製作と現地据え付け工事および品質を含めた受注をし、技術員を3名派遣した。
2002(平成14)年には次期レガシィ-(21Z)の金型・設備をユニプレス(株)と菊池プレス工業(株)より受注をし、アメリカへ技術員を2社に各2名派遣をした。その間日本からも今後の海外生産工場計画を見据えた情報収集のために、経営者トップが数回に分けて渡米を繰り返した。
2004(平成16)年には、北米での生産工場設立に向けた時期・人員・場所・設備・投資等を計画するために、北米進出準備室を開設し、ユニプレスアメリカに駐在員1名派遣した。そこで、海外でのいろいろな課題等を1年間調査・整理をしました。しかし、結果としては、日米の生産環境やお客様のご指導等により、経営判断で北米計画は保留となりました。
その後も、ユニプレス(株)よりイギリスで生産する金型を受注し、次々と派遣をした。今までは遠い国であった国が、日本の出張同様に行き来するようになり、バブル崩壊後の金型・設備の仕事も年度毎に増え、2002(平成14)年には総売上高は94億となり、バブル時期の売上高に戻ってきた。
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