(1)会社創立から50年間 【1938(昭和13)年~1987(昭和62)年頃】 《人事・安全・環境》
1)創業時 1938(昭和13)年~1964(昭和39)年頃
会社創立当時(足利郡山辺町八幡)の1938(昭和13)年10月は、従業員数は11人であった。戦時下のことであった。その後深井製作所は、軍需産業として、中島飛行機(株)からの発注量に対応するため、’41(昭和16)年の25人、’42(昭和17)年には33人に、’43(昭和18)年には46人に、そして’44(昭和19)年には64人に増加していった。戦後インフレのあとの不況のなか、’49(昭和24)年には、従業員は16人に減った。心機一転を図り、5月には四万温泉へ初めての慰安旅行を実施した。
この頃工場の周辺はまだ一面たんぼで道路も砂利道であった。通勤は近在の人がほとんどであったため、徒歩か自転車であった。納品もオート三輪車であった。
昭和30年代のモータリゼーションの流れに乗り、ラビットスクーターや日産スカイラインの好調から急成長し、1960(昭和35)年の決算期には、初めて売上高が1億円の大台にのった。 1961(昭和36)年に従業員は100人を越えた。
2)山辺工場から御厨工場へ 1965(昭和40)年~1967(昭和42)年
そしてこのあとも成長は続き、手狭になった創業地山辺工場から1965(昭和40)年に、足利市内の福富新町に御厨工場を新設し従業員も200人を突破した。この頃の通勤事情としてマイカーの人はほんのわずかで、ほとんどの人がバイク・自転車であり太田方面在住の人の中には電車通の人もいた。前の工場が東武伊勢崎線山辺駅近くにあったときは電車通の人は困らなかったが、御厨新工場に移転してからは最寄りの駅は東武和泉駅となり駅から歩いて通うには遠すぎた。
そこで会社から大型バスとマイクロバスをだして通勤の便を図った。大型バスは国鉄足利駅と東武足利市駅をまわり、マイクロバスは東武和泉駅を往復して従業員の足の替わりを勤めた。このバスは昭和50年代の中頃まで続いた。しかし、この頃は「東武和泉駅からのこの道は、一雨降るごとに穴だらけの水溜まりと化し、だれが修復してくれるでもなく、2トントラックに積んだ製品は、荷擦れ・へこみ・変形の続発で、」「電気を引くにも自己負担で電柱を建て、水道は無く井戸水での対応は水質が悪く、100メートル掘った地下水もマンガン含有が多く、お茶は黒くなるし水垢で冷却水のパイプが細くなって冷却不能になり、スポット剥れが発生するなど」(『深井製作所五十年史』より)、新環境のスタートは大変だったようだ。
3)人員増加と新たな福利厚生 1968(昭和43)年~1977(昭和52)年
創立30周年を迎えた1968(昭和43)年には、従業員数は300人になった。人員が300人を越え、管理体制を強化する必要性から同年1月に資格制度が設けられた。現在から見ると、役員兼部長級が参事、課長級の主事、係長級に技工という資格名であった。
また同年末、従業員を何より重んずる前社長の発意により永年勤続者、健康優良者を対象とする第1回従業員表彰が行われ働く意欲向上につなげた。
1970(昭和45)年に入って家族寮と独身寮が新築され、福利厚生面の前進が見られた。1973(昭和48)年は、社内行事、出来事が目白押しに行われた。ボーリング大会(1月、3月、6月)、卓球大会(2月)、潮干狩り(4月)、海外研修(4月)、慰安旅行(4月)、植木展示交換会(6月)、奨学金制度制定(定時制通学者、7月)、軟式野球大会(7月)など。この頃はこういった行事が盛んにおこなわれていた。1973(昭和48)年10月の石油ショックによる直接的な衝撃を深井製作所は免れたが、従業員の増加による人件費の増大にともなう収益力の低下の不安があった。
1977(昭和52)年には従業員が419人になった。(75年の新入社員は71人の創業以来最多採用、76年は15人、77年は40人)。
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先代深井義信社長による第一回従業員表彰
4)人事管理制度の夜明け 1978(昭和53)年~1986年(昭和61)年
1978(昭和53)年末からの第2次石油危機による石油価格の高騰で、再度インフレから不況へ陥り景気は一気に冷え込んだ。深井製作所も83年頃まで低迷が続いた。
合理化活動に立ち上がった。1980(昭和55)年から、能力主義を内容とする新人事管理制度確立への具体的な動きが始まり、1982年に至って「作業等級規定」、「賃金規定」および「資格規定」が制定され社内展開された。管理制度の改革や管理者教育にも熱が入った。経済情勢は’84年、’85年になってようやく回復が見られ始め、深井製作所も伸びを示した。
人事管理制度は、その後専門家の助力を得て、’86年4月「職能資格制度」と改称し新制度が誕生した。今日の人事管理制度の基礎となった。