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(8)量から質へ 【1972年、昭和47年~】 《拡張・充実7工場の歴史》

 1970年代になると高度成長時代もピークを迎え、企業間競争が激化し業界再編成も促進された。こういった動きは当然深井製作所にも波が押しよせ、QC・IE教育等の促進、品質管理体制の強化、能率管理・原価管理の実施などが要請された。
 当然、部品にも変化が起き品質精度のレベルが従来に較べ大幅にアップされ量から質の時代へ突入した。
 さらに追い打ちをかけたのが石油ショック(1972年、昭和47~48)年で、これは世界規模で大きなショックを受け、特に日本は大打撃を受けた。特に自動車産業もガソリンの入手難と価格の高騰等が、ユーザーの身近に迫り購買意欲が減り、自動車は売れなくなり顧客である日産・富士重工業も減収減益となった。
 しかしながら、我が社は農業機械化の進展にともない久保田鉄工(株)の仕事が増え、車関係の落ち込み分を楽に埋めさらに数倍上乗せになるほど挽回した。
久保田鉄工(株)シーブケース
久保田鉄工(株)シーブケース

 当時先代深井嘉信社長からは、100(いちまるまる)作戦が唱えられ夢に向かい全力疾走した。
 石油ショック以降、低成長時代を生き抜いてゆく企業活動として、日産自動車より「P3運動」の指導を受け、深井製作所独自の「P3TATE運動」を展開した。以降QCサークルの発足、提案制度、目標管理、小集団活動等を次々と展開導入し「本質的な企業体質の強化」をはかった。
 世界的な石油ショックは、自動車業界に幸をもたらすことにもなった。それは日本車の小型で燃費の良さに注目され、とくにアメリカ輸出が大幅に増えた。その中でも富士重工の伸びが著しく、深井製作所もその恩恵を受け、売上げ増となったが人員増が経営を圧迫し、売上げ増にともなう利益はあがらなかった。
 その後、自動車各社は猛然と新車開発に走り1977年から10年間で当社が手掛けた新車開発は、合計43車種にもなり、毎年4車種の開発を実施したこととなった。

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