(3)終戦 【1945年、昭和20年~】 《拡張・充実7工場の歴史》
創業後わずか6年で急激に成長し、すべてが順調にいくかに見えたが、1945(昭和20)年事態は急変した。
終戦となり当時の深井製作所の親会社である中島飛行機(株)は、終戦とともにその生産を停止しその後社名を富士産業(株)と改め再出発した。
深井製作所も同じく生産停止後、民需物資生産認可を受け再出発したが、戦後つくるものは家庭用品、なべ・フライパン・弁当箱等であり、それでも戦前から培った金型製作の技術を利用し短時日で売り物が出来るようになった。
さらに、世の中は冷え込み食糧難が続き企業は利益をだせる様な状態ではなかった。深井製作所山辺工場も最少時従業員は7名まで落ち込んだ。