(12)売上高100億円の達成 【1990(平成2)年~1991(平成3)年】
御厨本社工場、太田工場、新田工場の3工場体制という成長戦略により産業機械部品の日立建機㈱、小松メック㈱、富士重工業大宮工場、三洋電機と得意先が増えることになった。
一方、主力の自動車部品は、1989(平成元)年に発売された富士重工業(株)のレガシィが好調となり、またスバル梱包輸送㈱より梱包部品(クレート)を加え、売上高を大きく伸ばすことができた。
山川工業㈱(現ユニプレス㈱)においても1989(平成元)年~1990(平成2)年にかけ、種々の新規部品が受注となった。
また当時の高景気にも支えられ、売上高は一気に伸び1990(平成2)年に102億円、1991(平成3)年に106億円と2年連続で100億円を越えた。
この頃の出来事として、将来を見通し採用人員を大きく伸ばすための入りたい会社づくり委員会(1990年5月)、採用本部(1991年2月)の発足がある。