« (6)山川工業との提携と久保田鉄工からの受注【昭和44年~46年】 | HOME | (8)徐々に増す厳しさ 【昭和51年~55年】 »

点線

(7)社内体制の強化・充実 【昭和47年~50年】

 経営実績としては、昭和47年9月期(34期)は、日産車・富士重工車ともに台数が伸び、前期の不調が克服されて、1.7%の純利益率(売上高比)を挙げることができた。
 昭和48年1月29日に、社内報「おもかげ」の第1号が発刊された。「おもかげ」は、役員の経営方針、社内の主な行事・できごと等が掲載され広報の役割を果たした。当初は隔月に刊行され、昭和56年からは年1回となり、昭和60年に休刊となった。
 昭和48年には、資本金4,000万円が6,000万円に増資された。第35期(47年10月~48年9月)の売上高は約25億円であったが、昭和49年に年商100億円を目指す100作戦が展開された。その夢は、平成2年(52期)に至り達成することができた。
 昭和48年に大きな石油ショックに見舞われた。昭和48年になって、トイレットペーパーパニックに象徴されるような”モノ不足”を現出し、インフレムードに火をつけた。物価は高騰し、景気は冷え込んでいった。自動車メーカー各社は、軒並み減収減益に追い込まれた。
 しかし、49年から50年にかけて、久保田鉄工の仕事が急増し、車関係の落ち込み分を楽に埋めてくれた。これが石油ショックに伴う激変の直撃を和らげてくれたわけで、深井製作所は、多角経営にこの時の空前の危急を救われたのであった。深井義信前社長はかねてから、安定的発展のためには、富士重工、山川工業、久保田鉄工による「経営の3本柱」の確立が必要であると考え、努力を重ねていたが、ここにそれが達成をみたのであった。そしてこの「3本柱」は、以後の昭和50年代の深井製作所の、強固な経営基盤となったのである。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.fukai.co.jp/mt/mt-tb.cgi/13