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(4)スクーター部品から四輪自動車部品へ 【昭和33年~39年】

 昭和30年(1955年)にトヨタ自動車工業㈱の「トヨペット・クラウン」、日産の「ダットサン110」、昭和32年(1957年)には富士精密工業の「プリンス・スカイライン」などが相次いで登場した。そういう中で、昭和33年(1958年)3月3日に、富士重工業㈱からスバル360が発売された。
 深井製作所では、このスバル360の部品も受注・製作した。300トン水圧プレスで加工したセンターピラー・リヤスカートなどが主なものであった。
 一方、ラビットスクーターの全盛期は34~35年で、月産合計が5,000台を越えた。しかし、スクーターの需要は35年から下降し始めた。軽三輪ブームの到来、スバル360を始めとする軽自動車の台頭、ならびにホンダスーパーカブ(50CC)の低価格での登場などである。昭和43年6月には、22年間に及んだスクーターの生産を打ち切った。
 スバル360の好調の波に乗った深井製作所は、四輪自動車部門への進出を意図し、プレス集成工場を増設し、300トンおよび200トンの新鋭機械プレス、ならびにシャーリングほかの板金加工機械を導入して、生産体制の強化を図った。昭和35年には富士精密工業㈱(※)(昭和36年から「プリンス自動車工業株式会社」となる)と取引が開始された。
 プリンス自動車工業㈱との取引は、昭和37年に乗用車専門工場として村山工場が完成するまで、納入はすべて三鷹工場であった。当時はパレットもフォークリフトも無く、トラックの床に製品を手積みし、その製品の上にまた製品を運転席の屋根よりも高く積み上げ、輸送・納入していた。

※富士精密工業㈱は、富士産業株式会社が1950年(昭和25年)7月に企業解体した後できた会社の一つ。

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