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(2)戦後の混迷の中での再出発 【昭和20年~25年】

 深井製作所は、中島飛行機㈱の解散に伴い、昭和20年8月28日内外に解散宣言して門を閉ざした。連合国軍総司令部(GHQ)は20年9月、生活必需品の生産を助成することを政府に指令し、今までの兵器生産工場で、生活必需物資を生産することを認可した。
 これにより各企業は、手持ちの資材で、民需物資の生産が行えるようになった。早速、民需物資生産認可申請を提出し、認可された。民需物資の生産が開始された。家庭用品を主体とし、なべ・フライパン・弁当箱、パインミシン部品の生産に取りかかった。足利工場では金型製作から始まった。GHQの各企業への監視は厳しく、生産状況は月々報告を義務づけられた。これは昭和22年まで続いた。
 昭和23年から24年にかけて、クレー(射撃の標的)・トラップ機(射出機)、発電ランプの反射鏡と菊座、フォーク肩カバー(自転車部品)、靴方等々を製作。また、終戦直後から、天秤・球支え・針板・糸案内・糸調子皿・送りレバー・キャビネット錠・半蝶番等々のパインミシン部品を、昭和24年からは、進駐軍へ納入する絨毯用の吸塵機も製作し、比較的高収益をあげていた。24年の後半になって、富士産業㈱(中島飛行機㈱の後身)から自転車のフレームの仕事を受注した。戦後途絶えていた中島飛行機㈱の後身会社との取引き再開だったので全員張り切って取り組んだ。

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