(1)戦時体制下の出発 【昭和13年~20年】
株式会社深井製作所は、昭和13年10月1日、足利の地に創立された。日本は、まさに日中戦争の最中であった。中島飛行機㈱太田製作所の協力工場として金型・部品の発注を受けた。太田・足利周辺には、プレス工場、プレス金型を製作する企業は一社もなかった時代であった。
しかし、配給統制の時下にあって、製品を作るにも副資材の入手に困難であった。太平洋戦争の戦局が日本にとって悪化すると、航空機が激減した。昭和19年、中島飛行機㈱が軍需会社法に基づき軍需会社の第1次指定を受けると、それにともない深井製作所も航空機部品製造工場としての軍需工場の指定を受けた。陸海軍からの生産要請の増大に応えるため、昭和19年1月、中島飛行機㈱は宇都宮にも製作所を増設。それにともない深井製作所も同年3月、宇都宮に工場を増設した。創立当時、従業員は11人であったが、この頃になると100人に達した。しかし、昭和20年に入ると事態は急変。戦局は悪化した。ついに8月15日終戦を迎えた。軍需生産は終わりを告げた。創業以来6年10ヵ月営々築きあげてきた城が崩れた。